学生のためのベンチャー指南---A Student's Guide to Startups

Paul Graham
Copyright 2006 by Paul Graham.

これは、Paul Graham:A Student's Guide to Startups を、原著者の許可を得て翻訳・公開するものです。

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Copyright 2006 by Paul Graham
原文: http://www.paulgraham.com/mit.html
日本語訳:Shiro Kawai (shiro @ acm.org)
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Paul Graham氏のエッセイをまとめた『ハッカーと画家』の 邦訳版が出版されました。
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2006/10/09 翻訳公開
2006/11/11 SHIINO Yukiさんより、誤記および誤訳の指摘を反映
2006/12/06 YASHIRO Taketsuguさんより、 誤訳や表現の問題についての指摘を反映


(本エッセイはMITでの講演に基づいている)

最近まで、大学を卒業しようとしている学生には二つの選択肢があった。 就職するか、大学院に行くかだ。だが、これからは第三の選択肢が どんどん大きくなってゆくと思う。自分のベンチャーを立ち上げるって 選択肢だ。これはどのくらい普通のことになるだろう?

積極的に何かしようと思わない限り、就職するのが普通の選択肢であることは 変わらないだろう。でもベンチャーを始めるのは、大学院へ行くのと同じくらい にはなるかもしれない。90年代後半に、大学教授をやっている友人は、 学生がみんなベンチャーで働きたがるんで良い大学院生がなかなか入ってこないと こぼしていた。そういう状況がまたやってきても不思議じゃない。ただ次回は 一つ違いがある。学生は、誰か他の人が始めたベンチャーに行くんじゃなくて、 自分達で始めるようになるんだ。

野心を持っている学生なら、ここで疑問が出てくるはずだ。 どうして卒業まで待つんだ? 大学にいる間に始めたっていいじゃないか。 だいだい、どうして大学に行くんだ? その代わりにベンチャーを始めたっていいじゃないか。

一年半前、私は講演の中でこう言った。 Yahoo、Google、Microsoftの創業者は24歳だった。 大学院生がベンチャーを始められるなら、大学生だって出来るんじゃないか? 質問の形にしておいて良かったよ。今になって、これはたんなる修辞疑問じゃ なかったんだってしらを切ることができるからね。 あの時私は、ベンチャーの創業者に年齢の下限があるべき理由を 思いつかなかった。卒業ってのは世間的なもので、生物学的に何かが変わるわけじゃない。 そして技術的には多くの大学院生と肩を並べる大学生ってのは必ずいる。 だとしたら、大学院生がやるのと同じように、大学生がベンチャーを始めたって いいじゃないか。

今になって、卒業によって確かに変化することがあるのに気づいた。 失敗に対する言い訳が効かなくなるんだ。あなたの人生がどんなに複雑であっても、 あなたの周囲の人間は、家族や友人を含めて、あなたがいつも一つしか 職業を持っていないと考えている。他の活動はノイズみたいなもんだ。 大学生が夏休みに仕事としてソフトウェアを書いていたとしても、 やっぱりそれは大学生なんだ。ところが、ひとたび卒業して仕事として プログラムを書きはじめたら、たちまちみんなはあなたをプログラマだと 見なすようになる。

学校にいる間にベンチャーを始めることの問題は、緊急脱出口が組み込まれていることだ。 三年生から四年生になる間の夏休みにベンチャーを立ち上げたら、 みんなそれは夏休みのバイトみたいなもんだと思うだろう。 だからそれが失敗したって大したことじゃない。他の四年生と 同じように秋に学校に戻ってくるだけだ。誰もあなたが失敗したなんて 思わない。だってあなたは依然として学生なんだし、その点において 何ら失敗していないわけだからね。でもほんの一年後、卒業後に始めたとしたら、 秋から大学院に入るってことでもなければ、ベンチャーがあなたの職業って ことになる。みんなはあなたをベンチャーの創業者として見るから、 失敗するわけにはいかない。

ほとんどの人にとって、一番自分を突き動かす原動力となるのは、 自分の周囲の人の意見だ。ベンチャーを始める名目上のゴール ---金持になること---よりもそれは強い[1]。 私たちの投資プログラムでは、始めてから1ヵ月後にプロトタイプ・デイという イベントを開く。それぞれのベンチャーが、他の参加者にそれまで作ったものを プレゼンするんだ。そんなことしなくても十分モチベーションは高いんじゃないかって 思うかもしれないね。だって参加者は、自分の思いついたすごいアイディアを 実現しようとしているんだし、当面の資金はあるわけだし、 富か失敗かのゲームに挑んでいるわけだ。それだけで十分じゃないかってね。 でも、このデモがあるってことで、参加者は猛烈にがんばるんだ。

はっきりと富を築くことを目的としてベンチャーを始めたとしても、 いつか手に入れる金というのは、ほとんどの期間は絵に描いた餅みたいに 思えるものだ。日々の仕事に駆り立てるものは、恥をかきたくないという思いだ。

この性質ってのは変えられないと思う。変えられたとしても、そうしたいと 思うだろうか。自分の周囲の人々が自分をどう思うかについて、本当に、これっぽっちも 気にしないという人がいたとしたら、それはサイコパスだろう。 だからこの力を風だと思って、自分の船がそれを受けるように舵を取るといい。 周囲の人に流されるんじゃないかって心配があるなら、良い仲間を選んで、 彼らからの力が自分の進みたい方向に押してくれるようにするんだ。

卒業によってこの強い風が変わる。それは大きな違いだ。 ベンチャーを始めるというのはとても大変で、いずれ成功する人々にとっても 崖っぷちに立つことなんだ。 今、大成功して飛翔しているかにみえるベンチャー企業だって、 その車輪には離陸時に辛うじて躱した木のてっぺんの葉っぱが絡み付いているものだ。 こういう、のるかそるかの状況では、ほんの少し逆風が増しただけでも、 失敗へと転落してしまうかもしれない。

私たちがY Combinatorを始めた当初は、 まだ大学にいるうちにベンチャーを始めることを奨励していた。 Y Combinatorが夏休みのためのプログラムとして始まった、というのも理由のひとつだ。 プログラムの形は変わっていない。例えば週一回集まって夕食をとるのは良いことだ とわかったので、今でもやっている。でも、これからは公式には 卒業まで待つようにと言うことにしたんだ。

じゃあ大学にいる間はベンチャーを始めちゃいけないんだろうか。もちろんそんなことはない。 Looptの創業者の一人、Sam Altmanは 私たちが投資した時に、二年生を終えたばかりだった。Looptは今では 私たちが投資したベンチャーのうちで最も有望な会社だ。 でもSam Altmanは、かなり普通じゃない男だ。彼と最初に会って3分後に、 「ああ、きっとビル・ゲイツは19の時こんなふうだったんだろうなあ」と 思ったのを覚えているよ。

大学にいる間にベンチャーを始めても成功するなら、どうして私たちは そうしないように言うのか。それは、実力の定かでないヴァイオリニストが 誰かの演奏について評価を求められると、 必ず「プロになる才能はないな」と言うのと同じ理由からだ。 音楽家として成功するには才能だけでなく決意が必要だ。 だからこの答えは誰に対しても正答となる。自分に自信が持てない人は その答えを信じて諦めるし、十分に決意している人なら 「ふん、何といわれようが俺はやるさ」と思うだろうからね。

従って、私たちの公式な方針は、やめるように説得しても聞かない場合に限り、 学部生に投資する、ということになった。正直に言えば、もし自信が無いのなら、 待つべきだと思う。今やらなければ会社を始める全てのチャンスが消えてしまうって わけじゃない。今持っているアイディアのいくつかについては扉が閉ざされてしまうかも しれないけれど、最後の一つまでそうなるってことはまず無い。一つのアイディアが 古くなる度に、新しいアイディアが実現可能になるんだ。歴史を見れば、 ベンチャーを始めるチャンスは増加の一途をたどっている。

だとしたらむしろ、どうしてもっと待てないんだ、と問うべきだろう。 どうして、しばらく働いてみたり大学院に進んだりするかわりに、 ベンチャーを立ち上げるんだ。実際、それはいい考えかもしれない。 ベンチャー創業に一番適した年齢を選ぶとしたら、 私たちが応募書類を見てこりゃいいと思う人物像からするに、 20代半ばあたりじゃないかと思う。なぜだろう。20代半ばの若者が、 21の若者よりも有利な点って何だろう。逆にもっと上じゃだめなんだろうか。 25歳に出来て32歳に出来ないことってなんだろう。 これらの疑問は考えてみる価値がある。

メリット

大学を出てすぐにベンチャーを立ち上げた場合、あなたは現在の基準で言えば 若い創業者ということになる。だから若い創業者が持っている利点というものを 理解しておくべきだ。あなたが自分で思うものとは違うかもしれない。 若い創業者の持つ力とは、スタミナ、貧乏であること、根無し草であること、 仲間、そして無知だ。

スタミナの重要性については今さら言うまでも無いだろう。 ベンチャー企業について何か聞いたことがあるとすれば、 長時間の労働についても聞いたはずだ。私の知る限り、これは普遍的なものだ。 創業者が9時から5時で仕事をして成功したベンチャーというものを私は 一つとして知らない。若い創業者ならなおさら長時間働かなければならない。 まだ経験が浅くて効率を上げられないからね。

二番目の利点、貧乏については、利点には聞こえないかもしれないけれど、 非常に大きなものなんだ。貧乏ということは、安く生活できるということだ。 ベンチャーにとってこれは決定的に重要だ。ベンチャーが諦める理由のほとんどは、 資金が底をついたことだ。もちろんその原因となった 別の理由があるだろうから、こうまとめてしまうのは誤解を招くかもしれない。 でも、問題の根本が何であれ、資金を食いつぶすスピードが遅ければ それだけ回復するチャンスが増えるわけだ。 そもそもベンチャーというのは最初はあらゆる種類の間違いをするものだから、 失敗から回復するためのマージンというのは貴重なものだ。

多くのベンチャーは、当初計画していたものとは違ったものを やることになる。成功するベンチャーがうまく行くプロジェクトを見つける 方法は、やってみてうまく行くかどうか試してみることだ。 だからベンチャーが一番やっちゃいけないのは、強固で厳密に規定された 計画を最初に作って、たくさんの資金をそれを実行することに費すってことだ。 なるべく安く運用してアイディア自身が進化する時間を稼ぐのが良い。

近年では、大学院生は実質的にノーコストで暮らせると言ってもいいだろう。 これはより年齢が上の創業者に比べて強力な武器だ。ソフトウェアベンチャーの 主なコストは人件費だからね。子供がいたりローンを抱えている人は ものすごく不利な立場にある。私が32歳より25歳に賭ける理由のひとつがそれだ。 32歳は、多分より良いプログラマではあるだろうけれど、ずっと高くつく 生活を送っていることだろう。25歳だったら仕事の経験は少ないが(それは後で蓄積できる)、 大学生並みの安い生活費で暮らせる。

ロバート・モリスと私がViawebを始めたのは、それぞれ29歳と30歳の時だった。 ただ幸運にも、その頃私たちは23歳と同じような生活をしていた。 持ってる資産なんてゼロに等しかった。 住宅ローンを払う身になりたいもんだと思っていたよ。 だってそれは持ち家があるってことだからね。 でも今振り返ってみれば、何も持っていないのは便利だった。 縛られずに済んだし、安く生活するのにも慣れていた。

安く生活できるということよりも重要なのは、安く考えられるということだ。 Apple IIがあれだけ人気が出た理由の一つは、あれが安かったからだ。 コンピュータ自体も安かったし、記憶媒体にカセット、モニタにTVと いう具合に、店で簡単に買える安い周辺機器を使っていた。 どうしてかわかるかい? ウォズニアックは自分で使えるようにあのコンピュータを 作ったんだ。だからあれ以上高価なものを使うわけにいかなかった。

私たちも、同じ現象に助けられた。私たちの料金は当時としては無茶苦茶 安かった。一番良いサービスでも月に300ドルで、それでさえ当時の相場からは 一桁下だったんだ。振り返ってみればそれがうまいやり方だったわけだけれど、 私たちはそのつもりでそういう値段をつけたわけじゃなかった。私たちにとっては、 月300ドルっていうのはすごいお金だったんだ。Appleと同じように、 私たちは貧乏だったおかげで安いものを作り、そのために人気を得た。

多くのベンチャーは同じ形を取る。誰かが、それまでの10分の1とか100分の1の コストで何かを作る。既存の競争相手は追い付けない。そんなことが可能な 世界を考えるだけで恐ろしいからだ。例えば既存の遠距離電話会社はVoIPについて 考えたがらなかった。(でも結局、それはやってきた)。貧乏であることは この競争において有利になる。自分の持っているバイアスが、技術の進歩と 同じ方向を向いているからだ。

根無し草であることの利点も、貧乏のそれと似ている。 若いということは身軽ということだ---単に家や持ち物が少ないというだけでなく、 離れられない人間関係というものがあまり無い。これが重要なのは、 ベンチャーでは誰かが引越しをすることになる場合が多いからだ。

例えばKikoの創業者達は、彼らの次のベンチャーを始めるために ベイエリアに向かっている。彼らにとってそれは容易な決断だった。 私の知る限りどちらにも真剣なガールフレンドはいないし、 持ち物全てが一つの車に収まってしまう。いやもう少し正確に言えば、 一つの車に収まらないものは大して大事じゃないから置いてきてしまって 構わない、といったものだった。

彼らは少なくともこれまでボストンにいたわけだが、もしそれがネブラスカだったら どうなってただろう。エヴァン・ウィリアムス[訳註1]みたいに。 最近、誰かがY Combinatorの欠点は参加者が引っ越さなければならない ことだと書いていた。でもそれしかあり得ないんだ。私たちが ベンチャーの創立者たちと話すようなことは、直接会ってやらないと だめなんだ。私たちは一度に10社以上に投資するけれど、一度に10箇所に 存在することなんてできやしない。それに、もしどうにかして 人々を引っ越させないで住む魔法のような方法があったとしても、 私たちは使わないだろう。ネブラスカに留まると言うようなベンチャーには 投資しないだろうからね。 ベンチャーのハブ でないような場所は、ベンチャーにとっては有害なんだ。 間接的な証拠はある。 人口あたりの成功率がごくわずかであることからも、 ヒューストンやシカゴやマイアミでベンチャーを立ち上げるのがどれだけ大変かがわかるだろう。 こういう都市でなぜベンチャーが育たないのか、はっきりしたことは 私にもわからない。ほんの小さなことが100も積み重なった結果なのかもしれない。 だが何か理由があることは確かだ。[2]

これは変わるかもしれない。ベンチャーを立ち上げるのに必要な資産は どんどん小さくなっているから、そのうちベンチャーに優しくない環境でも 生き延びることができるようになるかもしれない。37signalsが 将来のベンチャーの形になるのかもしれない。 でも、そうじゃないことも考えられる。歴史的に見れば、 その時その時の産業の中心となった都市が常にあって、 そこにいないだけで不利になった。私の推測では、37signalsは例外だ。 このパターンは "Web 2.0" とかいうものよりもずっと古くからあるものだ。

マイアミよりベイエリアに、人口あたりのベンチャー企業がより多い理由は、 単にベイエリアの方にベンチャーの創業者となりそうな人が多いというだけ かもしれない。成功するベンチャーが一人で始まることはほとんどない。 たいていは、会話の中で誰がが会社の種になりそうな良いアイディアをぽろっと 思いついて、友人が「おお、それいいアイディアじゃん。やってみようぜ」という ところから始まる。この「やってみようぜ」と言ってくれる人が いなければ、ベンチャーは始まらない。この点でも大学生は有利だ。 大学生のうちは、そう言ってくれそうな人が回りにたくさんいる。 良い大学であれば、野心を持ち技術的に思考できる人が集中しているはずだ。 多分、そういう機会は二度と来ない。あなたという核が中性子を打ち出せば、 かなり良い確率でそれは別の核に当たるだろう。

Y Combinatorが受ける質問で一番多いのは、どこで共同創業者を 見つけたらいいかっていうのだ。30歳でベンチャーを始めようという人にとって これは最大の問題だ。大学にいた時は、共同でやってくれそうな人は たくさん知っていた。でも30になると、そういう人たちとは連絡が 途絶えたり、付き合いがあっても今の仕事を離れたがらない人たちばかりになる。

Viawebはこの点でも例外だった。私たちは比較的年齢が上だったけれど、 特別すごい仕事に縛られていたわけじゃなかった。私は画家になろうとしていて、 あまり束縛されるものが無かったし、ロバートは、 1988年に起きたちょっとした事件のおかげで研究からしばらく 離れなければならなかったために、29歳にしてまだ大学院にいた。 そう。あのワーム事件がViawebを可能にしたと言うこともできるだろう。 でなければロバートはあの年で助教授くらいになっていただろうし、 そうだったら成功するかどうかわからない私のクレイジーなプロジェクトを 一緒にやろうとは思わなかっただろうからね。

Y Combinatorに来る質問には大抵、何らかの答えを持ち合わせているものだが、 この共同創業者の質問については答えがわからない。良い答えというのはなさそうだ。 まず、共同創業者は、あなたが既に知っている人であるべきだろう。 今のところ知り合うのに一番の場所は大学だ。賢い人々が集まっていて、 彼らが同じ課題にどう取り組むかを見て比較することができる。 それに皆、人生はまだまだ流動的だ。大学からベンチャーが出やすいのは この理由による。Google、Yahoo、Microsoftは、他の多くのベンチャーと 同じように、学校で知り合った人々によって始められた (Microsoftの場合は高校だったが)。

多くの学生は、会社を始めるのを少し待って経験を積んだ方が良いと感じている。 他の条件が同じなら、そうすべきだ。但し、他の条件はみかけほど同じではないんだ。 多くの学生が気づいていないのは、ベンチャーにとって最も貴重な材料である 共同創業者を見つけることにかけて、どれだけ恵まれた環境にいるかってことだ。 あまり待ちすぎると、友達はみんな、それぞれ離れたくないプロジェクトに 関わってしまうだろう。優れた人であればあるだけ、その可能性は高くなる。

この問題を解決するひとつの方法は、数年の経験を積む間にも 活発に自分のベンチャーの計画を練ることだ。卒業して就職するも良し、 大学院に行くも良し、でも定期的に集まって計略を練ることで、 ベンチャーを始めるんだという考えが皆の中で生きつづける。 それでうまくゆくかどうかはわからないけれど、やってみても損はしないだろう。

自分が学生であることでどれだけ有利なのかを知るだけでも、役に立つ。 あなたの同級生の幾人かは、おそらくベンチャーを立ち上げて成功するだろう。 優れた工科系の大学であれば、それはほぼ確実だ。 誰がそうなるだろう? 私があなたであれば、ただ賢いだけでなく、 ものつくりの病に侵されている人を探すだろうね。 新しいプロジェクトを次々と立ち上げていて、少なくともそのいくつかを 終えたような人を探してみよう。私たちもそういう人を探している。 大学の成績や、ベンチャーのアイディアや、その他もろもろの要素全てに 優って、私たちが探しているのはものを作る人だ。

共同創業者を見つけるもう一つの場所は、仕事だ。 学校よりも少ないが、可能性を上げるためにできることはある。 一番重要なのはもちろん、賢くて若い連中がたくさん働いているような 会社で働くことだ。別の方法は、ベンチャーのハブの都市に位置する 会社で働くことだ。共同創業者を見つけて今の仕事をやめるように口説くには、 回りでいつもベンチャーが立ち上がっているような場所のほうがいい。

就職する時に、契約書を注意して読むことだ。大抵そこには、雇われている間に 思いついたアイディアは会社に属するといった項目があるはずだ。 人がいつアイディアを持ったのかを証明するのは難しいから、 現実にはこの項目はコードに対して効いてくる。ベンチャーを始めようと 思うなら、雇われている間はコードを一切書かない方がいい。 あるいは、少なくとも雇われている間に書いたコードを捨てて最初から始めることだ。 前いた会社が訴えるとかいうことは、多分心配しなくていい。 むしろそういうことを最初に問い詰めるのは、 投資家やあなたの会社を買収しようと考える人、 あるいは(幸運にも両者に聞かれなかったとすれば)株式の引受人だろう。 t = 0からあなたがクルーザーを買うまでの間のどこかで、 あなたのコードがその一部分でも他者に法的な所有権があるのかを、 誰かが尋ねる時がやってくる。その時にノーと言えなければならないんだ。[3]

今まで私が見た中で最も厳しい契約はAmazonのものだった。 あなたのアイディアを所有するという通常の条文に加えて、 あなたはAmazonに勤務していたことのある人と共にベンチャーを 立ち上げることが出来ない、というものだ。たとえあなたが、 その人と同時期に勤務していなかった、あるいはその人がAmazonに いたことを知らなかったとしても。この条項を強制するのは おそらく難しいだろうが、それでもこれを入れようとしてきたのは 良くないしるしだ。他にも働くところはたくさんある。 なるべく将来取る手を広く持っておける場所で働いたって良いだろう。

良い職場ということで言えば、Googleの名も上がるだろう。 でも私はGoogleについてちょっと気になることがある。 あそこからは、ひとつもベンチャーが産まれていない。その意味では まるでブラックホールだ。みんなGoogleがあまりに気に入って、 ずっとそこで働きたいみたいなんだ。だからあなたがいつか自分の ベンチャーを立ち上げようと思うなら、これまでの客観的な証拠からすると Googleには行かない方がいいってことになる。

これがちょっと変なアドバイスであることはわかっている。 離れたくなくなるような職場なら、そこで働けばいいじゃないかってね。 実際そこで手にしているのは、言ってみれば小さな成功だからだ。 ベンチャーを始めるには、ある程度起動時のエネルギーが必要だ。 職場があまりに心地いいと、たとえ離れた方が最終的には 良いことになるのだとしても、ついいつまでもそこに居つづけてしまうだろう。[4]

ベンチャーを立ち上げたいと思っているなら、その前に働く場所として 一番良いのは、多分他のベンチャーだろう。正しい種類の経験が出来ることに加え、 どう転んでもその経験を長く続けることにはならない。 大金持ちになるか(その場合、最初の目標は達成されたわけだ)、 買収されるか(そうなるとそこで働くのが以前ほど面白くなくなり、離れやすくなる)、 あるいは一番ありそうなのは、会社が破綻して再び自由の身になるかだ。

最後のアドバイス、無知については、有用だとは思えないかもしれない。 わざと議論が起きそうな単語を使ってみたんだ。無垢と言い替えてもいいだろう。 どっちにせよ、それは非常に強い力みたいなんだ。Y Combinatorの共同創業者である ジェシカ・リビングストンはもうすぐベンチャー創業者の インタビュー集を 刊行するんだが、その中に私は顕著なパターンを見つけた。 次から次へと皆口を揃えるのは、もしこんなに大変な仕事だと知っていたら 始めるのを躊躇してしまっただろう、ってことだった。

無知は、それが他の愚かさと釣り合う場合には役に立つ。 ベンチャーを始めるにあたって無知が有用なのは、 あなたは自分でわかっているよりも多くのことができるからだ。 ベンチャーを始めることはあなたが思っているより大変だけれど、 あなたは自分が思っているより多くのことを出来るから、バランスが取れるわけだ。

多くの人はAppleみたいな会社を見て、自分にあんなことがはたして出来るんだろうか、 と考えてしまう。Appleはちゃんとした組織で、自分は単なる一個人にすぎない。 でもどんな組織もある時点では、数人の人が一室で何かを始めようと決めたものに 過ぎないんだ。組織は作られるもので、それを作るのはあなたと何ら違わない 人々なんだ。

誰もがベンチャーを始めることができると言うつもりはない。 大抵の人には無理だろう。普通の人について私はあまり多くのことを知らない。 私が良く知っている集団、例えばハッカーについてなら、もっと正確に 述べることができる。優秀な大学であれば、コンピュータサイエンス専攻の学生のうち 1/4くらいは、やりたいと思えば自分でベンチャーを創業できるんじゃないだろうか。

「やりたいと思えば」っていうのは大事な限定だ。あんまり重要だから、 そんなふうにさらっと言ってしまうのはごまかしになるかもしれない。 ある程度の知性のレベルを越えている場合、優秀な大学のコンピュータサイエンス の学生ならほとんどがそうだと思うが、その場合は創業者としての成功は どれだけやりたいと思うかのみにかかっている。ものすごく優秀である必要はないんだ。 天才じゃないなら、競争の少ない、ホットでない分野で始めれば良い。 人事部向けのソフトとかね。これは適当に思いついたのを言ってみたんだが、 多分今人事部にあるソフトより良いものを作るのに、天才である必要は無いと 言ってもいいだろう。世の中にはより良いソフトを切望しながら 退屈な仕事に耐えている人がたくさんいるんだから、ラリーとセルゲイには 敵わないと思っていたとしたって、アイディアのクールさをちょっと下げるだけで 十分やれる分野はあるさ。

躊躇してしまうことを避けるだけじゃなく、無知は新しいアイディアを 見つけるのに役立つこともある。 スティーヴ・ウォズニアック はこの点をとても強調している:

Appleで私がやったことのうちうまくいったものは全て、(a)お金が無く、 (b)それまでやったことがなかった、という状況から生まれたものだった。 そういう状況から私たちが生み出したものは全て素晴らしいものになった。 今まで一度もやったことがないことだ。

何も知らなければ、全て自分で再発明する必要がある。 あなたが優秀なら、再発明は既存のものより良いものになるかもしれない。 ルールが変わってゆくような分野では特にそうだ。 ソフトウェアに関する現在の知見は全て、プロセッサは遅く、メモリとディスクが 小さい時代に得られたものだ。そういう知恵に、もう時代後れになってしまった 前提が埋もれてないなんてことは無いだろう。そういう前提を直すには、 明示的にその部分を取り除くのではなく、むしろガベージコレクションに近い ことが必要なんだ。無知だけど優秀な人間が全てを再発明して、 その過程で既存の余分なアイディアがそぎ落とされるんだ。

デメリット

さてここまでが若い創業者の有利な点だ。 じゃあ不利な点とは何だろう。 まず失敗の現象をあげて、次にその原因を探ってみたいと思う。

若い創業者の失敗は、授業の課題みたいなものを作ってくるってことだ。 私たちも最近になってやっとこれに気づいた。 それまでも、うまくいかなさそうなベンチャーに共通する何かがあるって気づいて いたんだけれど、なかなか言葉にすることが出来なかった。 でもついにわかったんだ。彼らは授業の課題をやっているんだ。

具体的にはどういうことだろうか。授業の課題で何が悪いんだ? 授業の課題と本物のベンチャーの違いはなんだろう? この問いに答えることができれば、それは創業を目指す学生だけでなく、 一般の学生にも有用だろう。だってこれから長々と説明しようとしていることは、 いわゆる「現実の世界」の謎についてなんだからね。

授業の課題には2つの大きな要素が欠けている。(1)本物の問題を反復的に 定義することと、(2)厳しさだ。

最初の要素は避けられないものだ。授業の課題っていうのは、 偽の問題を解かざるを得ないんだからね。ひとつには、本物の問題というのは そうたくさんはないし、価値があるものだ。教授が学生に本物の問題を 解かせたかったら、物理学の標準モデルの次に来る「パラダイム」の具体例を 探す人と同じパラドックスに直面することになる。 もしそんな例が思いつけたら、それだけでノーベル賞ものだ。 新しい良問というのは、求めて与えられるものではないんだ。

技術では問題はさらに難しくなる。本物のベンチャーは、進化してゆく 過程で自分達が解こうとしていた問題を発見することが多い。 ある人がアイディアを得る。みんなで実装してみる。 そうすることで(そして多分、そうすることのみで)、本当に解くべき問題は 別にあるということがわかる。 教授が授業の課題の問題をどんどん変えて行くことを許可したとしても、 そういうことをやっている時間も、進化を促す市場からのプレッシャーも 大学にはない。だから大学の課題は大抵実装をどうするかってことに 落ち着く。それはベンチャーの挑戦する問題のうちでは一番簡単なものだ。

ベンチャーは実装だけでなくアイディアも練らなくちゃならない、っていう だけじゃない。実装のやり方そのものが違ってくるんだ。 実装の主な目的はアイディアを詳細化することだ。最初の6ヵ月に作ったものの 唯一の価値は、最初のアイディアが間違っていたことを証明しただけ、なんてことも ままある。それは本当に価値があることなんだ。他のみんなが持っている 勘違いを自分がしていないというだけで、とても有利な立場に立っていることになる。 でも授業の課題でそんなふうに考えることはない。最初の計画が間違っていたことを 証明できても、単に成績が下がるだけだ。後で捨てることになるものを 作るよりも、どれだけがんばったかを示せるように全てのコードを 最終目標に向かって書いてゆこうとするだろう。

これは二番目の違いにつながる。授業の課題がどう評価されるかということだ。 教授は、学生の最初の位置と最後の位置の距離を見て学生を判断しようとする。 たくさんのことを達成できた学生には良い成績がつく。 でも、顧客の評価は逆向きなんだ。最後にあなたがいる位置と、顧客が必要としている 機能との距離がどれだけ狭いかってことが問題なんだ。 市場はあなたがどれだけ頑張ったかには目もくれない。ユーザは必要としている ソフトが欲しいだけで、そうでなければあなたにびた一文払おうとはしない。 これが学校と現実の世界との最も大きな違いのひとつだ。 どれだけ頑張ったかに対しての報奨は無いんだ。 本当のことを言うと、「よく頑張った」って概念自体、大人が 子供を元気づけるために発明した嘘にすぎない。 自然に存在するものじゃないんだ。

子供にとってはそういう嘘も効果的かもしれない。ただ、不幸なことに、 あなたが卒業した時に大人は「教育のためについてきた嘘リスト」を 教えてくれたりはしない。現実の世界と接触することで、そういう嘘を 自分から叩き出さないとならないんだ。世の中の求人の多くが 仕事の経験を要求しているのは、これが理由だ。 私も大学にいた時にはそれがなぜだかわからなかった。 私はプログラムを書けたし、実際、職業としてプログラムを書いている 多くの人たちよりもうまく書ける自信があった。じゃあこの謎の「仕事の経験」って なんだ? なぜそんなものが必要なんだ?

今ならそれが何かわかる。混乱のもとは、その用語のせいでもある。 「仕事の経験」と言うと、まるでそれはある機械を操作したり、 あるプログラミング言語を使ったりして得られる経験のことみたいに聞こえる。 仕事の経験が意味する本当のことは、特定の技能のことではなく、 子供時代から引きずる特定の習慣を消去できているかってことなんだ。

子供が持つ特徴的な性質のひとつが、逃げ出すことだ。 子供が難しい試練に直面した時、泣いて「出来ない」と言えば大人は許してくれる。 もちろん大人の世界でも人に何かを無理矢理やらせるということはできない。 かわりに大人の世界では馘になるんだ。その覚悟があると、 自分が思うよりもずっと多くのことが出来るようになる。 だから「仕事の経験」を求める雇用者が期待しているのは、 反射的に逃げ出すことが無い人、つまり言い訳無しでものごとを進める ことができる能力を持つ人ってことだ。

もうひとつ、仕事の経験によって理解できるのは、仕事とは何か、 特にそれが本質的にどれほどひどいものかってことだ。 仕事の方程式は根本的に苛酷なものだ。 起きてから寝るまでのほとんどを他人がしてほしいと望むことに費やすか、 さもなきゃ食いっぱぐれるかだ。 たまたま、他の人がしてほしいと望むことがあなたのやりたいことと一致したために、 仕事がとても楽しくてこの事実が隠されている職場も無くはない。 けれどもしその二つが乖離して、隠された現実が見えた時に何が起きるかを 想像するのは難しくないはずだ。

このことについて大人は、子供に嘘をついているというよりは、 説明していないんだと言った方が良いかもしれない。 大人はお金は何なのかについても説明しない。 大人はいつでも「大きくなったら何になるの」みたいな質問をするから、 子供は早いうちからいずれ何かの仕事をしなければならないということを知る。 大人が教えてくれないのは、子供は必死で立ち泳ぎをしている誰かの肩の上に 乗っているということだ。仕事を始めるというのは、自分が水の中に入って 自分で泳がなくてはならない---さもなくば沈んでしまう---ということだ。 何かに「なる」というのはたまたまの結果にすぎない。 目前の問題は、溺れないようにするってことだ。

仕事とお金の関係はほんのすこしづつ分かってくる。少なくとも私はそうだった。 最初に思うのは単に「借金はあるし、月曜にはまた朝起きて仕事に行かなくちゃ ならない。ああ畜生」ってことだ。徐々にこの二つが、不可分なほど固く 絡み合っていて、市場がそうさせているんだということがわかってくる。

だから24歳の創業者が20歳の創業者に比べて最も有利なのは、 24歳は何を避ければ良いのかを知っていることだ。 普通の大学生にとって、金持になるってことはフェラーリを買ったり みんなから称賛されるってことだ。お金と仕事の関係を 経験から学んだ人にとっては、金持になるってことは 99.9%の人々を支配している仕事の苛酷な方程式から抜け出すってことだ。 金持になるとは、必死に立ち泳ぎをしなくても良くなるということだ。

これに気づいたら、ベンチャーを成功させるためにずっと一生懸命に ---まさに、溺れる者の必死さで---働くことになる。 ただ、お金と仕事の関係を理解することは、仕事のやり方を変えることにもなるんだ。 労働の対価としてお金を受け取るんじゃない。 他の人が欲しがることをやるんだ。これを理解すれば、自動的に ユーザに対してもっと注意を払うようになる。それだけで、授業の課題症候群は 半分治ったようなものだ。しばらくこの調子で働けば、 次第に市場が測るのと同じやりかたで自分の成果を測っていることに気づくはずだ。

もちろんこのことを学ぶために何年も費す必要はない。観察眼が十分に鋭ければ、 学校にいるうちにもこういうことに気づくだろう。Sam Altmanはそうだった。 だってLooptは授業の課題とはほど遠いものだったからね。そして彼の例が 示すように、この知識はとても貴重なものだ。最低限、このことさえ理解すれば、 雇用者があれだけ切望する「仕事の経験」で得られるものの大半を既に得たことになる。 もちろん実際にこれを理解したなら、その知識をより価値ある方法で使うことが できるだろうけどね。

現在

さて、あなたはいつか、卒業した時か数年後かに、ベンチャーを立ち上げたいと 思っているとしよう。では今、何をすべきだろうか。 就職にせよ大学院にせよ、学部にいる間に準備できることはある。 卒業して就職するつもりなら、夏休みに自分が仕事をしたいところでアルバイトを してみるべきだ。大学院に行くつもりなら、学部生として研究プロジェクトに 関わってみるのが良いだろう。では、ベンチャーのためには何をすべきだろう。 どうやったら将来の可能性を最大限に開いておけるだろう。

まだ学校にいるうちに出来ることのひとつは、ベンチャーがどういう仕組みで 動くかを学ぶことだ。残念ながらこれは簡単ではない。 ベンチャーについての講座を持っている大学は、あったとしても非常に珍しいだろう。 ビジネススクールなら起業家のための講座みたいなものがあるが、 大抵は時間の無駄だ。ビジネススクールはベンチャーについて語るのが 好きだが、哲学的に彼らはスペクトルの正反対にいる。ベンチャーについての本も 大抵は使えない。何冊か読んでみたがひとつも正しいものはなかった。 多くの分野では、その分野に関する本は、経験を積んでトピックを良く知っている 人が執筆する。でもベンチャーに関しては特有の問題がある。 定義からして、成功したベンチャーの創業者は金のために本を書く必要がない。 従ってこの分野に関しては、この分野を理解しない人々によって書かれた本が 溢れることになる。

だから私は講座や本には懐疑的だ。ベンチャーについて学ぶ方法は、 ベンチャーが動いているところを見ること、できればその中で働くことだ。 大学生のうちにどうやったらそれができるだろうか。 裏口から潜り込むことだ。できるだけそのへんをうろうろして、 すこしづつ何かを手伝うようにしてゆく。 多くのベンチャーは雇用に関してとても慎重だ(そうあるべきなんだが)。 人を雇えば雇うだけ資金の食いつぶしは速くなるし、 初期の雇用におけるミスは回復が難しい。でも、ベンチャーは普通 とてもインフォーマルな雰囲気で、やらなくちゃならないことは山のようにある。 あなたが何かを手伝いはじめたとしても、みんなはあまりに忙しくて あなたを追い払う手間さえ惜しむだろう。そうやって少しづつ信頼を得てゆく。 いずれ正式に雇われるか、あるいはやめるか、それは好きにすればいい。 どのベンチャーにも通用する手ではないけれど、私の知っている多くの ベンチャーには通用すると思う。

第二に、学校にいるという利点を最大限に活用することだ。 共同創業者が回りに溢れている。周囲のみんなを見回して、 誰となら一緒に仕事をしてみたいか自問してみよう。 実際に考えてみると、意外な結果が得られるかもしれない。 例えば、できるけど競争心が強い奴より、普段気にもかけてなかった 静かな奴の方に心を惹かれるかもしれない。 なにも、いつか成功する可能性があるから気に入らなくても 仲良くしとけと言っているんじゃないよ。むしろその正反対だ。 ベンチャーは本当に気に入った人と始めるべきだ。 ベンチャーのストレスは、友情を試すことになるだろうからね。 たまたま一緒になった人々ではなく、あなたが本当に称賛できる人々と つき合うようにすると良い、と言っているんだ。

他にできることは、ベンチャーで使えそうな技能を身につけておくことだ。 それは就職に役に立つ技能とは違うかもしれない。 たとえば就職を考えたら、求人が多く出ているJavaやC++みたいなプログラミング 言語を学びたいと思うかもしれない。でもベンチャーを始めるなら、 自分で言語を選べるわけだから、より多くの仕事がこなせる言語はどれかを 考えるべきだ。このテストを使えば、多分RubyかPythonを使うことになるだろうね。

でもベンチャーの創業者に一番重要な技能はプログラミングテクニックじゃない。 ユーザを理解して、どうやったらユーザの望むものを与えられるかを見つけるコツだ。 何度も繰り返しているけれど、それだけ重要だってことなんだ。 そしてそれは学ぶことができる技能だ。むしろ習慣と言った方がいいかもしれない。 ソフトウェアを、ユーザがいるものだと常に考える習慣をつけよう。 ユーザは何を望んでいる? ユーザに「すげー」と言わせるには何をしたらいい?

これは大学生にとって特に価値がある。多くの大学のプログラミングの授業には ユーザという概念が欠けているからだ。 大学で教わるプログラミングとは、まるで文法だけで作文を習うような ものだ。書く目的は読者とコミュニケートすることだって目的に触れずにね。 幸い、ソフトウェアの「読者」は今やほんのhttpリクエストひとつしか 離れていない。だからプログラミングの授業の課題に加えて、 人々が有用だと思うようなウェブサイトを作ってみるといい。 少なくともそこで、ユーザがいるソフトウェアをどう書いたら良いかという ことが学べる。全てがうまくいけば、それはただのベンチャーの準備ではなく、 それ自体がベンチャーになるかもしれない。YahooやGoogleがそうだったようにね。

[1]

歴史的に、人々が世間の非難を避けるために自分の子供に行ってきたことから 判断するに、自分の子供を守りたいという望みさえ世間の重圧の前には 弱まってしまうようだ。 (もちろん今の我々も将来からみたらずいぶん野蛮なことをやっているだろうが、 現代から過去の虐待を見る方が易しい)。

[2]

Y Combinatorに参加すると創業者は3ヵ月引越しをしなくちゃならない、 ってことを心配すること自体が、ベンチャーを立ち上げることがどれだけ 困難かを過小評価している証拠だ。本当にベンチャーを立ち上げたら それよりもっと多くの困難に直面することになる。

[3]

たいていの従業員契約は、会社の現在または将来のビジネスに 関係するアイディアは会社のものであるとしている。 通常「将来のビジネス」にベンチャーまでは含まないのだろうが、 投資家や買収者に向けて予備調査を行う連中はみな、最悪のケースを想定する。

安全策をとるなら、(a)前の仕事で雇われていた期間に書いたコードを使わないか、 (b)あなたがサイドプロジェクトで書いたコードについて雇用者が全ての権利を 放棄することを書面にしてもらうか、だ。 多くの雇用者は非常に優秀な従業員を失うくらいなら(b)に同意するだろう。 欠点は、あなたは雇用者に対してあなたのプロジェクトが何をするものであるかを 正確に伝えなければならないということだ。

[4]

GeshkeとWarnockは、Xeroxが彼らを無視したからこそAdobeを創業した。 もし彼らの作ったものをXeroxが使っていたら、多分彼らはPARCを 離れることはなかっただろう。

草稿を読んでくれたJessica LivingstonとRobert Morrisに、 そして講演に招いてくれたJeff ArnoldとSIPBに感謝する。

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訳註

訳註1
Evan Williams. Bloggerの創業者。BloggerがGoogleに買収されてから しばらくしてGoogleを退社し、PodCastingをビジネスにするOdeoを創立した。

[Practical Scheme]