R6RS:翻訳:Rationale:Historical background

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1 章 歴史的背景

The Revised6 Report on the Algorithmic Language Scheme (略して R6RS)は Scheme の第六の改訂報告書である。

最初に Scheme について書いたのは 1975 年の Gerald Jay Sussman と Guy Lewis Steele Jr. である [39]。Steele と Sussman による改訂報告書 [38] は 1978 に発表され、MIT における実装は革新的なコンパイラをサポートし [36]、また言語の進化というものについて述べた。1981 年と 1982 年には Scheme の変種をつかった別個のプロジェクトが MIT、イェール大学、インディアナ大学で始まった [27, 25, 12]。Scheme を使った計算機科学の入門書も 1984 年に出版された [1]。[8] 以来、Scheme について述べ、Scheme を使う教科書が多数出版された。

Scheme がさらに広まるにつれて、各地で方言が生まれ、これは学生や研究者が他所で書かれたプログラムを理解するのが困難になっていることに気づくまで続いた。1984 年の 10 月に主要な処理系の代表者 15 人が集まり、よりよく、かつ広く受け入れられる標準の策定に邁進した。これに参加したのは、Hal Abelson、Norman Adams、David Bartley、Gary Brooks、William Clinger、Daniel Friedman、Robert Halstead、Chris Hanson、Christopher Haynes、Eugene Kohlbecker、Don Oxley、Jonathan Rees、Guillermo Rozas、Gerald Jay Sussman、Mitchell Wand であった。この報告書 [3] は、Will Clinger により編集され、1985 年の夏に MIT とインディアナ大学で出版された。その次の版は 1986 年の春 [4] (編集者は Jonathan Rees と Will Clinger である)と 1988 年の春(これもまた編集は Will Clinger と Jonathan Rees の手による)に出版された [5]。そして、さらにもうひとつが、1992 年の Xerox パロアルト研究所での会合での合意にもとづき、1998 年、Richard Kelsey、Will Clinger、Jonathan Rees の編集により出版された [21]。

2002 年 10 月、ピッツバーグの Scheme Workshop の出席者により、新たな報告書作成の過程を議論する戦略委員会が編成された。この委員会は標準化の趣意書を起草した。2003 年 11 月、ボストンでの Scheme Workshop で、この趣意書と、新規報告書の編集委員の選出が承認された。続いて、Alan Bawden、Guy L. Steele Jr.、Mitch Wand から成る趣意書の運営委員が選出された。同時に、2003 年末、Marc Feeley を編集主任として、Will Clinger、R. Kent Dybvig、Marc Feeley、Matthew Flatt、Richard Kelsey、Manuel Serrano、Mike Sperber から成る編集委員会も設立された。 Richard Keysley は 2005 年 4 月に委員を辞任し、代わりに Anton van Straaten が加わった。Marc Feeley と Manuel Serrano は 2006 年 1 月に辞任した。そして、趣意書により、編集委員を 5 人に減らし、編集主任の職を、議長と企画編集者へと変えた [29]。R. Kent Dybvig が議長となり、Mike Sperber が企画編集者となった。2007 年 5 月 Will Clinger が委員会を去った。報告書の一部は Scheme Request for Implementation (SRFI。 http://srfi.schemers.org/ 参照)として告知され、報告書用に改訂・決定の先立ってコミュニティによる議論が進められた [14, 2, 6, 13, 9]。“Revised^5 Report” の意味論にもとづき、Jacob Matthews と Robby Findler が言語のコア部分の操作意味論を記述した [24]。

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