Shiro:BeginningActing

Shiro:BeginningActing

Kumu Kahua Theaterで開催されている、 Summer Theater Classから、Beginning Actingのコースを取っている。 2003年6月〜8月。以下は各クラスのメモ。


第1回(2003/6/7)

日本を離れてからすっかり芝居に御無沙汰で、舞台が 恋しくなってきたので、 地元の劇場がやってるSummer Theater Classから Beginning Actingのコースを取ってみた。 全10回の今日が1回目。参加者は12人。おもしろかった。

次回の課題:何かものを一つ持ってきて、それについての、 事実ではないstoryを、convincingに語る。

第2回(2003/6/14)

  To sit in solemn silence
  in a dull dark dock
  in a pestilential prison
  with a life long lock
  awaiting the sensation
  of a short sharp shock
  from a cheap and chippy chopper
  on a big black block.

第3回(2003/6/21)

前回の課題で覚えて来たquoteをせりふとして、シーンを作る。 まず一人づつモノローグで。 次に、各人が一人相手を選び、状況を設定して。 せりふは覚えて来たquote一つだけ。

Quoteは一つの文で短いもの、という指定だったので、皆選んで来たのは "Hope is a good thing", "Violence begets violence", "Wherever you go, there you are", "Live for today", "Smooth seas do not make skillful sailors" 等、短いものばかり。 ほんの数単語の文を使っても、二人の関係、シーンの前にあったこと、 シーン中で起きたこと、シーンの後に起こり得ること、 実に多くのことを表現できる。

似たようなことは日本語でも出来るし、基本は同じなんだけれども、 英語の方が単語間をぴしっと切るので微妙に感触が違う。 日本語だと完全な文の途中にポーズを入れようとすると、 助詞の後で切る事になり、あんまりはっきり切るとわざとらしくなる。 はっきり切るなら文を会話調に変えて体言で切るようにする方が 自然だろう。Quoteを使うとそれが出来ないから、 自ずとアプローチが違って来るような気もする。

また、数単語のセリフでストーリーを展開しようとすると、 当然語順が重要な役割を果たす。 "Cure and prevention of ignorance is education" というのを使った参加者が居たが、日本語ならどうなるかな。 頭に来る単語が何かで全然展開が違って来る。 こう考えると、翻訳劇ってのは大変なことだなと思う。

次回の課題:歌を一つ選び、その歌詞を覚えて来る。 それをセリフにしてモノローグ。

第4回(2003/6/28)

第5回(2003/7/5)

いつものKumu Kahua Theaterが仕込みで使えないので、 Hawaii Opera Theaterのリハーサル室にて。

第6回(2003/7/12)

これは結構きつかったが、同時にそうとう面白かった。 用意したセリフでなくて、 その場で与えられたテーマでインプロバイズしなければならないうえ、 観客からどういう質問が飛んで来るかわからない。 英語を考える方に気を取られると役がトンでしまう。

ただ、皆が演じたキャラクタが結構極端なものが多く、 それらの間の会話のミスマッチはそうとう楽しめた。

第7回 (2003/7/19)

クラス自体は、あと来週土曜、さ来週の金、土の3回を使って ちょっとしたシーンを仕上げるスケジュールになっているのだけど、 私は来週金曜からSan Diego行きなので 出られない。よってこれが自分にとっては最後のクラスになる。

通しての感想。根本的には日本の劇団のワークショップでやることと そんなに違いがあるわけではなさそうだ。

今回のクラスではそんなにphysicalなエチュードは無かったけれど、 反応とか、感情の引出しとかのスキルは確実に鈍っているのを 実感した。やっぱり離れているといかんな。 他のワークショップがあればまた参加したいところだ。


最終更新 : 2012/03/18 11:18:54 UTC