aka:英語
- セッティング
- 日本語ネイティブである。習得済みの第二言語は無い。
- 耳が悪い。たぶん弱い難聴である。日本語でも聴き取れないことが少くない。
- 滑舌が悪い。気をつけてしゃべらないと日本語でも相手が聴き取れないことがある。
- 英語圏で生活したことはない。
- 海外に行く機会もほとんどない。
- もういい年齢である。
- 職場や友人にネイティブはいない。
- しかし、仕事で結構必要になる。電話会議など。
- 若いときに論文を読むために英語の勉強を多少した。ただし、Basic English Usageを理解した程度。これが唯一の第二言語勉強経験。
- こんなセッティングにて、必要最低限な英語スキルを独学で身につけるためのメモ。
- 雑記
- 英語を勉強していると、自分が極めてアホなことを思い知らされる。よいことだ。
- 考えてみればあたり前のことを、やってみて気付くことが多く、日頃ほとんど考えていないことがわかる。
- 大画面の映像と高度な音響環境を使って魅了しようとする映画よりも、茶の間で引き込もうとするTVドラマの方が単位時間あたりの会話分量が多く、教材としては効率的。質的な違いもあり、それも効率を上げる。
- 映画/TVドラマの言葉と小説の言葉は別もの。小説には描写のための言葉がある。
- 物語り/物語る、というのは言語習得や運用において、極めて重要かもしれない。今までは、それは談話の背景や範囲であったり、文脈であったり、語用論というレベルで捉えていたが、それらとは違う何かがある感じ。
- 個人的には、抽象的な意味だけれども、物語り/物語るという要素がない勉強法はほとんど効果がなかった気がする。今までのところ。
- これは実感でなくて、推測なのだが、おそらく、「人」「人物」「キャラクター」というものは、物語り/物語るということと並行してまたはその核心として、言語または言語習得において重要な因子なのかもしれない。
- 勉強法
- 「名無し練習」
- なんと呼んだらいいかよくわからないのですが、次のような練習が重要と感じている。地力系。
- ネイティブの小学生向け程度の文章。
- 物語になっている。
- 日常を取り扱っている。
- 音声教材がある。
- シャドウスピーキング、コピースピーキングをする。覚えるぐらい、ネイティブの子供に読み聞かせができるくらいを目指す。
- 現在、まずはLongmanのStory Street Step 1plus - 9 でやってみている。
- 一般的にこの練習が有効かどうかはさっぱりわからないが、個人的には今この練習が一番「キク」感じがする。
- 好きなことを英語で
- これは訓練でない。しかし地力系。
- TVドラマが好きならそれを英語で。ニュースが好きなら、それを。音楽が好きなら、それを。漫画が好きなら、それを。
- これは好きなことを英語でやる、ということだけが大事な部分。この節立てと矛盾しているが勉強と思ってしまったら、効果が低くなるかゼロになる。感情に類する機能と新しい言語をつなぐ作業。
- 「日本語トリガー」
- これもなんといったらよくわからないのですが、重要。会話系。
- まず、いわゆる英作文という訓練は、私には合わない。いわゆる英作文とは、日本語文があって、それを英語文に翻訳する練習法だ。
- この練習は、英語学習者の訓練法としてみると、本質的におかしいと思う。その日本語文の解釈にも揺れがあり、英語文の解釈にも揺れがあり、文脈は多様に想像可能である中で、その日本語文の英語文への翻訳がひととおりであるわけがない。
- また、これで訓練した能力を英語の会話で使おうとすると、まず日本語の文を組み立てることになる。それは、実際のコミュニケーションの状況では非現実的だ。スピードが追い付かない。
- 以上の理由によって、私は「日本語 -> 英語」という訓練法には総じて否定的だった。
- しかし、「日本語 -> 英語」にてやるべき練習を見付けた。
- それは、発話する際の一番初めの自身のアイデアというのは、相当な訓練と経験を詰むまでは、まず日本語で起るからだ。ここが、英語で起るようになっているとしたら、それはもう相当英語ができるようになっている。だから、そこが日本語で起る期間というのは、日本語ネイティブの英語学習者(成人)にとっては不可避だ。なので、まずは日本語または日本語に近い形/所で起るその発話のトリガーを捉えて、それが英語だとどのような表現になるかについて訓練することが有効である。また、これは発話のトリガー自体が英語に置き換わることに繋る可能性もある。
- 例えば、賛意、好意、叛意、謝意などが生じたとき、それを相手に表現するさいにそのレンジを特徴づける日本語キーワードがあるはずで、「賛成です」「大賛成です」「それは違う」「いいですね」などなど、ではこれらがいろいろな文脈ではどのような英語で表現するのが適切かについて知り、そしてそれが日本語トリガーのもとすぐに英語表現がでてくるようにするという訓練だ。
- この訓練のひとつのミソは、英語についてではなくて、日本語というか、自分の脳の観察にある。すなわち、どういう発話トリガーが自分の中で発生しているかを観察や想定することに意味がある。それを自分自身で捉えて、その英語版が素早くできるように訓練すれば、その発話は英語でできるになることが間違いない。
- また、付随する効果として、日本社会では存在しない対話の流れと発話などに対する発見があるかもしれない。例えば、米国西海岸ではこういう対話パターンがあって、そのときはこう発話すべきなんだな、という類のこと。そういう対話自体が日本社会には存在しないので、この場合は、その対話パターンと発話アイデア自体を習得する必要がある。
- このあたりに着眼した教材はいくつか存在している。有名なところでは、スティーブ・ソレイシィさんのものなど。
- 「SV...SV...SV... リスニング+スピーキング」
- 「チャンク」
- 英文法について
- アクセント、発音、フォニックス
- 考え方
- 「間違えを恐れずに」と「ハイパーグラマー」
- いわゆる英会話教材
- 言語とコミュニケーション
- 英語は私にとってツールである。英語を使ってやりたいことや実現したいことがあるのだ。すなわち、英語の習得自体が目的なのではない。私にとっては。
- 違う言い方をすると、通訳を常に同行させることで実現するならば、それでもまったく構わない。または、人を雇って代行させて目的を達成できるのであれば、それも嬉しい。
- しかし、どうもそれでは私の目的は達成できない。理由は次のとおり。
- 私自身と、対象となる人々との間で、直接の信頼関係を築く必要がある。それはお互い個人的に人と人として親しくなることを含む。
- 中期的な目的である。短期的かつ単体のプロジェクトであれば、そのときの契約や利害関係だけでお互いの関係性を構築できるが、中期以上の場合、それだけではないのだ。
- 対象としているドメインが広くかつ深いところで、私の知見を表現しなければならない。少なからぬ場合、通訳の方は日本語であっても理解できない。
- いわゆる言語としての英語は、ひとつの断面にすぎない。習得すべきことはそれ以外のものがたくさんあり、場合によっては、英語の習熟の問題ではなくそれらの課題なのだ。
- このことは、日本語について考えてみると簡単にわかる。例えば:
- 日本語ネイティブの高校生は、かなり日本語自体には習熟している。では、彼らが、日本語ネイティブのビジネスシーンで、ビジネスの会話ができるだろうか? ほとんどの分野で無理だろう。学ばなければいけないこと、訓練しなければいけないことがいろいろある。大学生であってもそうであろう。(念のためだが、その一因である過度の商習慣やプロトコルを日本の社会などが有していることを盲目的に肯定しているわけではない。)
- あなたは日本語で、日本語ネイティブの人とどれだけ洗練された/魅力的な世間話ができるだろうか。私はけっこう苦手だ。ある程度できるが、やらなくて済むならやりたくないという心理的障壁がある。
- あなたは日本語で、どれだけ魅力的なスピーチができるだろうか。聴衆の心を動かし、喝采をあびることができるだろうか。
- あなたは日本語で、どれだけ有効な契約交渉ができるだろうか。特にあなたが、お金を受けとる側の場合に、成約を逃さずに、どれだけあなたの主張を入れ込むことができるだろうか。
- すなわち、日本語ネイティブにとって、日本語であっても、ビジネスの局面で有効であるためには、言語自体以外のスキルも重要だ。
- それらが、言語の上に構築されるのか、言語の下に構築されるのかは人によって違うのかもしれない。私の場合は言語の下のレイヤだと感じている。しかし、一般的には、こういったものは基本的な言語スキルの上のレイヤとして構築されるものと認識されているか、そもそも言語スキルの一部と誤解されていることが多そうだ。
- これは単純明快なことだけど、私にとっては、繰り返し思い出すようにすべきことである。そうしないと、すぐに間違えてしまう。
- この思考チェックの目的は、何かが実現できるようになるために、まず第一に必要な訓練は何か、ということを確かにすることだ。
- 例えば、Small talk が苦手だ、というときに、まず第一に欠けているのは何か、ということだ。あなたが日本語で「非常に」社交的で、ビジネス上での見知らぬ人とのおしゃべりが得意であり多くの人と非常に短時間に親交を深めるならば、足りないのは、言語としての英語だ。もし、あなたが日本語でそこまで社交的ではない、またはビジネス上での見知らぬ人とのおしゃべりに心理的障壁がある、またはそつなくやるが通り一辺倒でおわってしまい相手を引付けることができない、ならば、まず訓練すべきなのは日本語での社交性、というか社交性自体だ。
- 例えば、その分析の結果として、まず第一に改善すべきは「見た目」かもしれない。対象としているコミュニティにおいて、自分の目的の達成という文脈において、自分自身をもっとも適切に表現している、髪型、服装、姿勢、歩き方、立ち位置、表情、しぐさなどが何か、ということだ。
- たまに、「日本語以上に第二言語がうまくなることはない。だから日本語の勉強をすべきである」ということを聞く。私はこの言明が正しいのかどうか、一般的見地のみならず個人的見地としてもわからない。否定しているのではなく、まだ何かを実感したことはないし、私自身において、これが真であるかどうか確認できる方法が存在しないと思う。
- しかし、私が言っていることと前項の「たまに聞く」言明が異なるものであるということはわかる。前項の言明は言語能力に関する言明だ。私の言明は、言語能力とコミュニケーション能力は同義ではなく、英語圏で何か目的を達成するというときには、多くの場合、言語能力以外の能力の向上が必要ということだ。しかも、ここでは、その言語能力以外というのは、財力などを指すのではなく、一般的に言語能力の不足と思ってしまう/思われている類いの状態の多くにおいて、より根源的なコミュニケーション機能の欠如や未熟が原因であるということだ。念のためだが、もちろん財力も重要だ。
- TBD.
- 訓練の順番: スピーキング、リスニング、リーディング、ライティング
- まず、第二言語として英語を学ぶものにとって、これら4スキルは複雑に有機的につながっている。なので、単純な意味で「こういう順番」でやるべき、というものはない。自分の習得状況を頻繁に確認し、何を訓練すべきかを動的に選択していくべきものだ。
- しかし、「学習初期はこの順番を意識すると効率がいい」という順番はある。ただし、その場合は、上記四つではなくて、もうちょっと細分化される。
- 学習初期
- 第一:発音
- 第二:歌唱(チャント等)
- 第三:コピーリーディング
- 続いてコピーリーディング。ネイティブの朗読に合わせて本を読み声をかぶせる。アメリカンアクセントと書かれた文章を繋ぐ。
- 第四:リーディング
- 第五:シャドーイング
- 第六:リスニング
- 第七:ライティング
- 英語ネイティブと文章でやりとり。SNS等でもよいかも。
- なお、学習初期以外についても、多少の法則性はありそうだ。例えば次のとおり。
- 「スピーキングの向上は、100倍のリスニンングを必要とする」
- スピーキングを一歩向上させるには、その向上分の100倍のリスニング分量が必要。
- 「ライティングの向上は、100倍のリーディングを必要とする」
- ライティングを一歩向上させるには、その向上分の100倍のリーディング分量が必要。
Last modified : 2012/05/05 23:30:53 UTC