Shiro:ActingForTheCamera:log

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Shiro:ActingForTheCameraの旧内容。 シーンワーク中心になってから、その場を経験してないと意味のないメモに なってきたので途中で毎回のメモをまとめるのはあきらめた。


University of Hawaiiのnon-credit course。 2007/10/24〜2007/12/12、全8回。各3時間。 講師はJoel Moffett

2007/10/24

参加者は8名。17歳〜60歳超まで。経験者多数。("Lost" に出たって人が 何人かいたな)。

ウォームアップの後、ディスカッション形式で進行。

来週はモノローグ、再来週にシーンをやる。

2007/10/31

2名、練習時間が取れないということでドロップアウトして、計6名になった。

Getting into character

What is "getting into the character"?

How? いくつも方法があるが、今日そのひとつをやる。

outside-in な方法。物理的な肉体がanchorとなって集中しやすい。

Monologues

舞台用のacting classとちがって、Joelがカメラを構えて撮影。

オーディション形式でやる。(そもそもモノローグをモノローグとして演じる 機会というのはオーディションくらいしかないから)

Film向けのオーディションで、auditionerが見ていること:

監督は、あなたに「演技指導」をしたくはない。求めているキャラクタが 「自然にできる」役者を探しているのだ。 したがって、一般的なアドバイスとして最重要なことは、Reveal yourself; to be honest with yourself; don't put the mask; show the director who you are。「演技力」を見せびらかす場所ではない。

モノローグ前の紹介 (自分の名前、これから演じる芝居/映画の名前と役名、 芝居/映画のシノプシス、これから演じるシーンのコンテキスト) - 30秒以内で。 (一般的な注意:この時、決してオリジナルの映画で演じた役者の名前を使ってはいけない。 また決してオリジナルの映画の演技を真似ようとしてもいけない。)

フォーカスを決めて、そこに向かってdeliverすること。 (フォーカスをauditionerの一人に決めて直接deliverするのは非常に強力だが、 演技が伴っていないと非常に不快な思いをさせることになる。 安全なのはその場にいる人物あるいはカメラから少し外すこと。)

キャラクタの仮面をかぶるのではなく、あなた自身がキャラクタを通じて流れ出すようにする。

Who you areとwho you are actingとの関係は非常に重要。 これが舞台と違うところ。脚本が60代のコケージアンを求めている時に、 30代のアジアンがその役を演じることはできない。 この話は次のtypeの話へとつながる。

What is your type

Typeとは: Characters most appropriate for you

(一人代表で前に出て、Joelが彼の顔のアップをスクリーンに映す)

「このスクリーンの顔を見て、どんな人だと思う? 当の本人とは全く関係なく、 画面だけを見て。」
「人の顔は左右非対称だ。それは人の違う側面が表れているからだ。 彼の場合、左半分は悲しみを宿しているように見える。 欲しかったものが与えられなかった悲しみだ。右半分は少しユーモラスで、 それを笑い飛ばすような強さを備えている。」
「彼は人を殺したことがあるだろうか。人を殺せるだろうか。復讐をすることはできるだろうか。 どのようなシチュエーションに居る彼を想像できるだろうか。etc.」

自分にとってどのようなキャラクタが合っているかを知ることが最も重要。

鏡を見て、正直に、どのような人間に見えるかを観察せよ。 特に、painやvulnerabilityなどdark sideに注目せよ。 それらは普通我々が無意識のうちに隠そうとするものだ。 しかし、意識的にそれを表に出すことで、キャラクタは強力になる。

2007/11/7

今日のクラスは深かった。

役者は何を最初の撮影現場に持ってくるべきなのか。 準備するとはどういうことなのか。 リアリティとは。 今まで全く出来ていなかった、大いなる勘違いをしていたことがよーくわかった。

のらりくらりと時を過ごしていてはいけないな。

何が起きたのかは言葉に出来るものではないが、 それ以外の知識レベルのことは忘れないようにメモメモ。

個人的な反省点:

今回のようにワンシーンとか、モノローグとかを前にした時に、その中だけで 構成を考えてしまう。でもそのような人為的な後付けの構成には全く意味が無い。 シーンはあくまでストーリーの中で意味を持つ。それが土台。シーンの 中の変化はその土台の上にのる波風のようなもので、しかもその形は 土台から必然的・自発的に決定されるものだ---土台さえきちっと 作っておけばシーン内構成はspontaneousな反応に任せるだけで良い。

このように局所的な視野で構成を探すことは癖になる。今までも そのような視野狭窄に陥っていたことが多々あったことに気づいた。

全霊を傾けて土台を作ることだ。ストーリー全体に照らして、 何のためにそのシーンがそこにあるのか、 何のためにそのキャラクタはそこに居て、何のために相手と絡むのか。 考えて理屈を作るのではない、答は既に脚本の中に明示されているはずだから、 それをはっきりと見通すことだ。

それが理解できて、反応する身体があれば、流れが自ずと生まれるのだ。


Last modified : 2008/12/20 13:29:24 UTC